脊椎炎と診断されるまで④

予約が取れなかったため、私は朝一で病院に行くことになった。

私はこの時、一日中病院にいることになるなんて思っていなかった。

 

紹介状の内容、アンケートを書き、私はおそらく待ち時間が長くなるだろうと思い、漫画を読んでいた。まず最初に採血と腹部のレントゲン。そのあと、診察された。

そこで私はその前の日に処方された薬を見せた。

ここで言われたのが、薬が一回の使用で効き目がないはずなんてないということだった。

つまり、症状が胃潰瘍と当てはまらなかった。

採血の結果も、炎症数値が前より上がっていた。しかし、やはりそこまでの痛みが伴うほどの数値でもなかった。

次は造影剤を使った腹部のCTを取ることになり、再び診察をした。

 

そこで、この背中の激痛はただ事ではないということがだんだん明るみに出る。

背骨の周りにがんではないが、あるはずのないものがあるといわれた。

胸部のCTをもう一度取りに行き、はっきりと骨の周りの組織が見えた。そして、白く映るはずの骨は虫食いのように断面が黒い影があった。

 

ここで出てきたのが二つの疑いだった。

-脊椎の感染

-免疫性の病気

 

ここから、私は整形外科に回され、いろいろ診察を再びした。

感染の場合、足の麻痺、しびれ、背中は叩いたら痛いという症状が出るはずだが、それが全くなかった。

ここで私は、家族や親せきに免疫の病気の人はいないか聞かれた。

親に連絡をしたところ、私の祖母はベーチェット病という免疫性の難病でなくなっていた。

 

結果的に私はその場で入院させられることになった。

経過観察なしではわからないことだらけだったからだ、

脊椎炎ということがやっとわかった。

 

ここから私は、抗生剤の点滴を毎日3回、2週間の入院で安静にすることになり、コルセットを作ることになった。

予想では「感染ではない」ということだった。

理由はこの若さでありえない、基礎疾患(肺炎等)がない、しびれや麻痺がない、とのことだった。

抗生剤の点滴も免疫性だったら効果が出ないため、状況的に免疫と考えるのが一番妥当だった。

 

この日を境に、私はやっと背中の痛みと向き合うことができるようになった。

今考えてみたら、一カ月半ほどとんでもない爆弾を抱えていたが、痛みが楽になれば私は何でもよかった。何かわかった分、何もわからないよりかは安心感があった。

 

脊椎炎と診断されるまで③

結局、処方された痛み止めは毎日飲む羽目になり、すぐになくなってしまった。

痛み止めをもらうために病院にまた行くことになった。

 

私はいろいろ自分で調べた結果、至った結果は潰瘍ができているのではないかという結論だった。背中に痛みが生じる可能性はあり得るということ、食欲がなくなる、すぐお腹いっぱいになる、いろいろな症状が当てはまった。

 

病院に行った結果、やはり胃潰瘍の疑いがあったため胃潰瘍のお薬をもらい、大きな病院で胃カメラをするように勧められ、翌日に行くことになった。

私は紹介状を握りしめ病院に向かうことになる。

 

 

脊椎炎と診断されるまで②

何週間か開いたが、やはり痛みは増すばかりだった。

さすがにおかしいと思った私は、違う病院に行ったほうが早くことが明るみに出ると思い、整形外科内科の病院に行くことにした。

 

話を何度聞いてもらっても、どうも該当する病気がなく、どんどん謎が深まるばかりだった。

前の病院ではX-線は正常で何もなく、むしろきれいな背骨だとほめられた。

最終的に至った結果は肝臓に問題があることだった。肝臓に異常があると、このように背中に痛みが出ることがあるらしい。私はこれと共に右あばらの下のほうにも少し痛みがあり、これも一つ肝臓を疑うきっかけとなった。

 

結局、その日は採血をして、二日後に結果を聞きに来るよう言われた。

 

そのあいだもその前も、私はいろいろな可能性を疑った。

十二指腸潰瘍、胃潰瘍、がん、下手すれば性病。正直性病がこの中で怖かった。

 

肝臓を疑う理由はよくわかる。大学生ならわかるが、やっぱり飲み会は多い。

ひとり暮らしをしているが、家族関係もぐちゃぐちゃで、二十歳になってからは酒におぼれていた時期があった。

そして性病を疑った理由もある。いろいろぐちゃぐちゃになり、自分を見失っていた数カ月の空白の時間が私にはある。出会い系に登録し、マッチ人たちと一夜を過ごひて現実逃避をしていた時期があった。今だからこそなぜそのようなことになってしまったかはわからないが、性病のリスクは全然ある。右あばらにも痛みがあることから、進行しすぎたクラミジア感染症を疑った。この時点では、ボロボロの生活を卒業して2カ月たっていたので、十分可能性はあった。

 

このような不安があったことから私は不謹慎ながらも、肝臓であってほしかった。

あとシンプルに原因を知りたかった。早く痛みから解放されたくて仕方がなかった。

 

結局、違った。

 

分かったことは、基準値よりCRP数値(炎症反応)が少し高いくらいだったが、ふつうはここまでの痛みを伴う数字ではないそうだ。

結局原因が分からなかったことから、炎症を収める痛み止めをもらった。本当に辛いときだけ飲むよう言われるが、結局薬は毎日飲む羽目になってしまっているくらい痛みは出ていた。

 

ちゃんと病気と向き合うまで2週間。

脊椎炎と診断されるまで①

コロナの感染者が増えていく中、2021年の1月末に大学2年生の最後の授業が終わった。

 

オンライン授業にも慣れ、気づけば提出期間前には課題もほぼ終わっていた。

パソコンと夜遅くまで向き合い、椅子に座りっぱなしの日々が終わった。

やっと春休みが始まる。そう思っていられるのはほんの数日だった。

 

椅子に座りっぱなしだったことから背中に痛みを感じていたが、ほぼ筋肉痛のような痛みだったため、特に何とも思わなかった。

初めて病院を診察したのは、痛みが一週間たっても治らなかったことから何かおかしいと思ったことからだった

遠方に住んでいる父親に相談し、病院で診てもらうことになった。

この時の診断結果は

 

「ただの筋肉の凝り」

 

この時は「たかが筋肉の凝りで私は病院に行ったんか!!!」なんて思った。

 

X線をとったら特に問題もなく、動かしたときに痛いのは運動不足だといわれ、やっぱりリモートのせいか。そんな軽い気持ちだった。

 

痛み止めと筋肉を和らげる薬も処方され、私はそれを飲んだが、症状はよくなるどころか悪化していた。

 

背中だけではなく、その痛みはみぞおちあたりにも響くようになった。

腹筋をしたときに、お腹が張っているような痛さで、日に日に夜も眠れず、動けなくもなった。

 

そんなある日の朝、私は本当に痛みで動けなくなり、救急車を呼ぶかを悩んだ。

しかし、自分では大げさだと思い、うめきながらその日は二度寝をして、痛みから逃げた。結局起きたのはお昼過ぎで、とても後悔した。

この時、私の背中の痛みは朝ほどひどくなく、思い込みかなんて思っていた。

救急車を呼ぶか悩んでパニックになり、父親に鬼電して申し訳なかった。

 

しかし、これがただ事ではないと判明するのは、症状が出てから一カ月半後。

 

ちゃんと病気と向き合うまで、一カ月半。

自己紹介

大学2年生が終わり、春休みが始まったとルンルンだった私はある日突然脊椎炎と診断されました。

 

脊椎炎なんて言っても、おそらく多くの方がピンと来ないでしょう。

私もピンと来ていませんでした。

しかし、これはだんだん私が精神的にも悩む原因となります。

 

自分でも聞いたことのない病気をみんなが分かるわけない。

白血病やがんのように、すぐに深刻だとわかるものでもない。

もちろん、これらの病気は完治も難しく、つらい治療もあり、それがどれだけつらいかは私にはわかりません。

こんなことを言えば批判されると思いますが、理解してもらえない辛さから不謹慎ながら「もっとわかりやすい深刻な病になればよかった」なんて思ったこともありました。

けど人にはそれぞれ辛いと思うことがあるから、今考えてみればそりゃ理解されなくても仕方がないとも思う。

「人付合いが悪くなったね」なんて面と向かっていわれたり、被害者ぶってるなんて悪口を言われたこともありました。

だからこそ、私は仲いい友達にしか病気のことを話していません。

 

正直当事者本人の私でも、あまり深刻さを実感していないが、とても危ない病気ではあるらしいです。

 

周りに理解されない、自分にしかわからず、周りにどう伝えたらいいかわからない。

私が診断された胸椎可能性脊椎炎に限らず、悩む人はいるのではないか。

 

このブログでは、同じく脊椎炎の方や、病気で悩む方にとって、少しでも気が楽になれるように、自分の経験をまとめていこうと思います。